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■■■ もしも君が、もしも、を考える。 本来忍者の世界にもしもなんて甘っちょろい言葉はない。過程と結果、それが全てだ。 それでも誰しも後悔があって、不満があって。もしも、という夢想は甘いけれど、それは逃避だ。甘いだけの毒だ。 俺にもとてつもなく大きな、人生でもって背負っていく後悔がある。父さんが追いつめられるのを助けられなかったこと、オビトを死なせてしまったこと、オビトに託されたリンを守りきれなかったこと、ミナト先生とクシナさんの死、そしてナルトを長い長い間一人にしてしまったこと────ナルトに関しては、少なからず事情があるけれど。 それでも、苦しくて悔しくて仕方のないことだけれど、その後悔が今の俺を作ってきたんだ。「今」の俺が昔にいたなら、なんとしてでも変えてみせるだろうけど、「かつて」の俺は事が起こってしまうまでわからなかった。だからこそ後悔、なのだが。 事が起こるまで理解しなかった、変わらなかった自分。そもそも想像さえしなかった。その俺が仲間の大切さを、チームワークを、助け合うことを、規律より大事なものがあることを、大切な人を失ってしまう痛みを、理解して自分のものにするに過程において過去は必然で。結局、「今の俺」だからこそ言えることでしかない。 だから悔やみ苦しみ嘆きながら、俺は生きていくだろう。それが俺の覚悟だ。 それでももしも、を考えることがある。 もしもナルトが両親の愛に包まれて、もっと優しい世界で生きて育ってきていたのなら。 馬鹿らしい想像でしかない。現実のナルトは親の顔も知らず、親の存在も知らず、一部の事情を知る人間以外からは総じて憎悪され、爪弾きにされていた。暴力を振るわれたことだってあるだろう。12年、アカデミーを卒業するまでナルトはほぼ一人だった。周囲に人がいても、想像を絶するほど孤独だった。 性格が捻じ曲がるか、人格に深刻な歪みがあってもおかしくない環境にありながら、まっすぐ前を向いて生きて来た。自分を認めさせてやるのだと、青い眼を輝かせていた。他人の痛みを理解し、他人の為に動くことが出来る。普通の人間でさえ容易くないことを、ナルトは下心なくやってのける。 一人だったからこそ仲間の大切さを誰よりも理解し、痛みに満ちた人生だったからこそ他人の痛みを放っておけないのかもしれない。だけど我愛羅君のように世界を恨んでも可笑しくない状況で、それがどれだけ奇跡的なことなのか。ナルトに深く関わる人間は誰しも思い知る。あまりにも眩しくて温かくて、だからこそ惹かれずにはいられない。俺もその一人だ。いや、ナルトを心身ともに手に入れたいと思って成し遂げてしまったのだから、一番の重症かもしれないが。 この稀有な魂を抱き締める度、俺は世界の素晴らしさを知る。裏切り、騙し、殺し合い、人は世界は残酷な事実に満ち溢れていて、それでもナルトという人間が存在することこそが、世界には絶望と共に希望があるのだと確かに教えてくれている。 だからこそ、時折考えるのだ。 もしもナルトが幸せに育ってきていたなら、俺はナルトに惹かれただろうか。 幼いころからの環境を鑑みるに、ナルトの持つ光は天性のものだ。環境が与え教えた優しさではない、ナルトの内から、ナルト自身が生み出したもの。魂が秘めた強さ。だからこそきっと、痛みを知らずに育ったとしても、ナルトはいずれ世界の残酷さを知り、それを自分の糧として取り込むだろう。痛みを苦しみを嘆きを、自分のことのように悲しんで、それをなくさんと奮闘するだろう。人は環境が作るというけれど、もって生まれた魂もまた、存在しているのだから。 この絶望だらけの世界で、憎悪が連鎖する忍の世界で。 痛みを知るナルトだからこそ、痛みを憎悪を抱えた人の心を動かせるのだとするなら、ナルトの苦しみは必然になってしまう。ミナト先生とクシナさんの死も、里の仇と恨まれることも、ナルトが救世主である為の運命だったのだということになってしまう。そんなことがあってたまるか。 過去が今の俺を形作ったのは真実だとしても、過去が必然だったとは思いたくない。それは傲慢だ。今の俺を作り上げるために歴史が流れるなどあってはならない。一滴のしずくがいずれ大河となり海となるように、一人一人の想いが、行いが、巡り巡って歴史を作っていくのだと、その結果として今があるのだと、そう思いたい。いや、信じている。 例えもしも、がありえたとしても。 ナルトがナルトである限り、俺はきっと幾度でもナルトに惹かれるのだろう。 いい年した男が考えるにはあまりに夢見がちで、だがそんな自分も悪くないと、俺は一人笑うのだ。 (14.03.03) |